雪の中をひた走り告別の場へと辿り着く
- 2018.12.13 Thursday
- 21:23
2004年に牧師になってから、これまでに何件の葬儀を執り行ってきたでしょう。自分が牧する教会の信徒の方々の葬儀、他教会の方々ではあるけれど、遺族の依頼を受けて執り行った葬儀、しばらくの闘病の後に召された方々の葬儀、突然召された方の葬儀・・・。
今回の葬儀は、盛岡市ではなく宮古市を会場とするもので、当日の朝、2時間かけて駆けつけるはず、だったのですが、昨日は折しも前夜からの降雪により盛岡市内は大渋滞。牛歩のような車の進みで余裕をもって出たはずが、盛岡脱出もままならず。途中進路を変更し、山間の裏道に抜け出して、東へ東へひたすら進み、会場到着は葬儀開始の10分前のことでした。
葬儀、火葬、拾骨と進む時間を過ごしながら、故人の人生のみならず、自らの人生をも顧みる時を過ごしていました。きっとそれは、私だけではなく参列した方々が一様に同じ思いを抱いていたのではないかと思います。
伝道者の書7:2は言います。
「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」